おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

坂東玉三郎初春特別公演@ル・テアトル銀座


お三輪ちやんは玉三郎だなあ。
といふのが、ル・テアトル銀座坂東玉三郎初春特別公演の感想だ。
1月6日金曜日に見てきた。
初日あたりはあまり大向かうがかからなかつたといふ話だつたが、この日は適度にかかつてゐた。
 
ここ数年、ほかの役者で見てきた「妹背山婦女庭訓」の「三笠山御殿」だが、特に不満のあるわけでもなく、「お三輪ちやん、あはれね」とか思ふてゐたわけだが、「やつぱりかうなうてはかなはぬかなはぬ」といふ「御殿」だつた。
 
まづ「口上」。
去年よりはやはらかくなつたか。
「(お客さまには)しばし現実を忘れて、古典の世界に遊ぶ」、そんな時間をご用意できたら、といふやうなことを云ふてゐて、「いいこと云ふなあ」としみじみ。
ほかにも、菊五郎劇団から松緑と右近を借り受けて、菊五郎からは快諾もらつて、といふ話とか、菊之助に雪姫を教へて「輸出輸入」なんぞと云ふたりとかいい話がつづく。
でも、「ふーん、去年の面子では「古典の世界に遊ぶ」のは無理つてことかねえ」などと考へてしまつたいぢのわるいやつがれであつた。
 
「道行戀苧環」は、右近の橘姫が踊れてはゐるのだがかたくて、「ずつとこのままか知らん」と不安になつたが、お三輪が出てくると俄然よくなつた。相乗効果といふアレだらうか。橘姫がかたいままだとこの幕成り立たないしね。
以前福助の橘姫に勘九郎(当時)の求女と玉三郎のお三輪でこの道行を人形振りで見たことがある。お三輪は大変結構だつたけど、橘姫も求女も「おつきあひ」といふ感じでなんだか可哀想だつたと記憶してゐる。
今回も「人形振りだつたらどうしやう。でも、玉三郎特別講演だしなあ」と心配だつたのだが、人形振りではなかつた。玉三郎は本行に近いやりかたを標榜してゐるやうに見受けられるが、別に人形振りにしなくても本行に近い形は実現できる。そんな一幕。
このあとの「三笠山御殿」も通じて、求女といふのはむづかしい役なのだなあと痛感する。笑三郎、悪かないと思ふんだけど、途中でその存在を忘れてしまつた道行であつた。
 
「三笠山御殿」は、松緑の鱶七がいい。
松緑は聲とセリフとがはなればなれな感じのすることが多く、また、躯の大きいわりには顔が小さいので全体のバランスが悪いなあと思ふことも多かつたのだが、今回はさういふ感じがまつたくなかつた。
まづ出てきたときの顔が文楽の人形の頭のやうでいい。もしかすると化粧をくつきりはつきりしたのだらうか、顔の小ささを感じさせない。
またセリフも聲の浮いた感じがまつたくなくなつてゐて、實にいい。
鱶七の、漁師めいた荒々しさや愉快なセリフもいいし、なにしろ大きい。
いやはやー、いいぢやん、松緑、といふので前半は大満足だ。
 
そして、やはりお三輪がなんとも。
実はこれがうまく書けないでゐて、あきらめやうかとも思つた。
よかつた。
これくらゐしか云ふことなくて。
 

これくらゐいぢめたくなるお三輪もさうはゐないだらう。
お三輪は杉酒屋の娘で、鄙の育ちではあるだらうけど、それなりに「お嬢さん」として扱はれることもあるだらう。そんな気の強さもある一方で、大層な金殿に尻込みするあたりのかはいらしさもいい。
いぢめの官女にむくつけき(失礼)感じが少なくて、最初は物足りないかと思つたが、かへつて女の陰険さが出る場面もあつたやうに思ふ。
官女たちにあれこれ指示されて、でもお三輪の想ひは次第に御殿の中にゐる求女さんに向いていく、この流れが實に自然。
官女たちに花道に追ひ出されて、祝言のなつたといふ聲を聞き、「あれを聞いては」で豹変するあたりなんかゾクゾクする。これが「疑着の相」といふアレか。
ここは、花道に出たりしなくて、髷に飾りで三方と結び連れられたりして気がついたときに髪の毛がくづれてしまひ、「今朝母さんにきれいに結ふてもらつたに」といふやうなセリフが入ることがあるが、玉三郎はこれをしない。
鱶七に刺されて以降のあはれさも絶品。「もう目が見えぬ」とかね。また苧環の扱ひ方がいとほしくてね。糸を巻いて、抱き寄せてといふあたりなんか、たまらないよ、もう。
 
と、書いてゐるあひだにも、どんどん記憶が薄れていつてるなあ。なんでとどめておけないのか。己が記憶力のなさを嘆くばかりである。
できればも一度見たい。も一度といはず、二度三度。
それがかなはぬのが憂世かな。