おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

六代目中村勘九郎襲名披露二月大歌舞伎の夜の部 @新橋演舞場


2月2日(木)、新橋演舞場に中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露二月大歌舞伎の夜の部を見に行つた。
初日のこととて昼の部がだいぶ押したやうだ。
 
まづ「御存知鈴ヶ森」が大変にすばらしい。
幕見席があつたら通ひつめたい。
それくらゐいい。
勘三郎の白井権八のふつくらとやはらかでゐて凛とした江戸歌舞伎の二枚目ぶりもすばらしければ、吉右衛門の幡随院の長兵衛の大きくて粋な江戸つ子の大親分つぷりもたまらない。
なにより、このふたりが一緒に芝居をしてゐるといふのが、なあ。こんな僥倖、さうはない。
権八は鶸色の衣装。なんとなく梅幸を思ひ出したりした。
 
口上は、あたたかな空気につつまれつつも節度あるまことに結構なものだつた。
歌右衛門亡き後の口上は、仲間同士の内輪受けと楽屋オチばかりのつまらないものになつてゐた。
もしかしたら今回もそんな感じかもしれないと危惧してゐたが、杞憂に終つた。
万事取り仕切つてゐたのは勘三郎。
ひとりひとりの話を聞くにつけ、芝翫が元気だつたら、と思はずにはゐられないが、後にこのとき橋之助芝翫が去年の九月にかぶつたかつらをつけて出てゐたと聞いた。
秀太郎が五十年前に先代勘三郎の鏡獅子に胡蝶の役で出た話をしてゐて、前の仁左衛門を思ひ出したりした。ああいふ話芸のある役者はその後ゐないなあ。
 
「鏡獅子」は、飛鳥井が小山三といふことにまづ驚く。
頭に霜は乗せないと、常々云ふてゐたのに、と。
芝翫の踊りは、かうして継承されていくのだなあ。
踊り慣れてゐる勘三郎とはちがふ、初々しい感じの弥生。
そんなわけで、チトかたいかな、と思ふところもないわけではなかつたが、最後のところは今まで見たことのないやうな毛振りだつた。
まるで力みがないのである。
力みがないのに、力強い。
この世の引力だとか重力だとか、そんなものは存在しないのかもと思はせるやうな、「エレガント」とでも云ひたくなるやうな不思議な毛振りだつた。
後見は七之助。
長唄にThe 家元兄弟。立三味線はお父つつあん。
 
最後は「ぢいさんばあさん」。
福助のるんがいい。初日だからかもしれないけれど、羽目をはづしたところのない、落ち着いた感じでよかつた。
年を経た三津五郎の伊織が「生まれ変はつて新しい暮らしを始めやう」といふくだりでは、いつになく泣けた。三津五郎のセリフに誠のあることもあるが、自分もまた、さうしなければならない、さうしやう、と、思つたからかもしれない。
 
昼の部は、また今度。