おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

新春浅草歌舞伎 夜の部@浅草公会堂


1月7日土曜日、浅草公会堂で新春浅草歌舞伎の夜の部を見てきた。
「敵討天下茶屋聚」の通し上演である。
 
最初にこの演目を見たのは今を去ることほぼ二十年前。
最後に見たのも同じ年。
 
最初のときは今はなき中座で、最後はこれまた今はなき歌舞伎座で見た。
 
中座で見たときの八十助(当時)の早瀬伊織が實にすばらしく、以降、八十助の演じた伊織を「伊織さま」と呼ぶやうになつた。
歌舞伎座で見たときは門之助で……いや、まあ、その……。
 
もとい。
 
今回の伊織さまは亀鶴。
この配役で見に行くことを決めたといつても過言ではない。
果たして期待したとほり、見てゐてにこにこしてしまふやうな、いい伊織さまであつた。
早瀬伊織は敵討をせんと志す若人である。
長い旅で月代も伸びてはゐるが、それでゐてすつきりしたところがある。
さはやかで凛々しくもあるが、敵を持つ身の愁ひを帯びた風情もある。
さうでないと、元右衛門が引き立たない。
早瀬伊織の出来如何で、元右衛門の出来もきまつてくる。
さういふ意味でも、亀鶴の伊織さまは大変結構だつた。
 
元右衛門は亀治郎。片岡造酒頭との二役である。
これがまた、實に楽しげに演じてゐる。
例によつて「分相応」を今年の目標に掲げる身ゆゑに三階席からの観劇で、花道はよく見えなかつたりするわけだが(浅草公会堂の場合は三階席の一番前だと舞台手前部分もよく見えなかつたりはするわけだが)、聲だけ聞いてゐると、「猿之助?」と思ふくらゐそつくりだ。「しゃししゅしぇしょ」なところまで同じである。うつかり、「香川照之も歌舞伎に出たら「しゃししゅしぇしょ」になつてしまふのか知らん」と思つたくらゐだ。
元右衛門のやうな役は、二十年前に見た勘九郎(当時)や猿之助のやうに、少し丸みを帯びた体型の役者の方が愛嬌が出やすからう。
亀治郎にはその点でハンディはあるものの、見てゐるうちにそんなことは気にならなくなつてくる。
六月には猿之助襲名を控へてゐることもあつてか、「亀」を用ゐた楽屋オチネタも多いがこれまたあまり気にならない。
最後太鼓橋を使つた演出も楽しかつた。
 
巳之助の源次郎は張り切つた出来だつたと思ふ。
去年七月に「車引」の杉王丸を見たときは、そのきまつた形の悪さに「うーん……」と唸つたものだつたが、今回はきまつた形のところはきれいにきまつてゐた。
聲のうまくセリフに乗つてゐないところはあひかはらずだが……これはそのうちなんとかなるもの、と思つてゐる。
 
聲がなんとかなるもの、といへば壱太郎か。
児太郎時代の福助を思ひ出すやうな聲で、あれほどキンキンとはしてゐないものの、なんか、もつと落ち着くといいのに、といつも思つてしまふ。
これもおそらくは若さゆゑのことで、そのうち落ち着く日もくるだらう。
葉末役。
 
聲が落ち着くといへば春猿
むかし右近の「義賢最期」の待宵姫を見たときはどうなるものかと思つたけれど、きつといい師匠・いいお手本がゐるのだらう、見違へるやうな心地がする。
今回の染の井も出番は少ないもののよかつたと思ふ。
 
はじめて見た時の葉末役だつた愛之助は東間三郎右衛門。
最近かういふ役が多いね。
これもちよつと出番が少ないなあ。
 
年始ご挨拶もやつた薪車は人形屋幸右衛門。気持ちのいい役だらう。
挨拶を見てゐても、「如才ないええ人なんやろなー」といふ雰囲気で、お年玉気分だつた。
 
初春の浅草公演、亀治郎はこれで最後なのだといふ。
今後、どういふ役者になつていくのだらう。
いろいろできるから、どうなつていくのか、さつぱりわからない。
そこがおもしろい気がするなあ。