おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

壽 初春大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座 2020

歌舞伎座昼の部に行つてきた。
初芝居である。
演目は以下の通り。

  1. 醍醐の花見
  2. 袖萩祭文
  3. 素襖落
  4. 河内山

「醍醐の花見」は、失礼ながらあまり期待してゐなかつたのだが、案に相違のよさだつた。
勘九郎(石田三成)、鷹之資(大野治房)、種之助(曽呂利新左衛門)といふ踊りに定評のある若手がそろつてゐるところがいい。
七之助(智仁親王北の方)もいつのまにか裾をきれいに返せるやうになつてゐて、「刮目して相対すべし」と思ふ。
もちろん、魁春(北政所)に比べたら如何にも「返してます!」といふ風になつてしまつてゐるのはご愛嬌だが、まだ若いんだし、さうしたものだらう。
花道を歩いてくる梅玉(秀吉)の足取りが、見るからに秀吉らしいのもいい。
秀吉の歩く姿なんて見たことはないが(あたりまへだ)、あんな風に歩いたのではないかなあといふ感じがする。
福助(淀の方)が出てくると舞台面が一層華やかになるしね。
秀吉といふところにその後の没落を感じるのだが、この一場だけは幸せの絶頂、華やかで初芝居らしくてよかつたのではないかと思ふ。

「袖萩祭文」は、浜夕が笑三郎といふのが衝撃的だつた。
まだ老け込むには早いと思ふものの、以前「尼崎閑居」の操とかすごくよかつたからなー(皐月ではない)。
七之助の義家が浅草のときと比べると格段の出来で、小忌衣の大将の懐の深さとか気品(が実際の八幡太郎にあつたかどうかは別として)が備はつて、とてもよかつた。
勘九郎の宗任は花道から舞台に出たときに身体の大きさを殺してゐるのがよい。ここでは主役は芝翫の貞任だからだ。かういふところが勘三郎とは違ふんだよなあ。
東蔵の直方はちよつと弱いかな、といふところ。
雀右衛門の袖萩はあはれさがよい。お君ちやんの子もよくやつてゐた。
一人二役でない分、芝居の展開はスムーズだと思ふ。
でも次は勘九郎の袖萩・貞任で見たいよね。
勘太郎はもうお君ちやんには大き過ぎるだらうか。長三郎はどうだらう。
ほんとは日替はりといふならお君ちやんの二役とかで見たいのが芝居好きなんぢやあるまいか。
ま、やつがれはそんなに芝居好きではないといふことかもしれないが。

「素襖落」と「河内山」とは逆の配役の方がよかつたのではと思ひつつ、「素襖落」は初日といふこともあつてか見た後ほがらかな気分になつたのでよしとしたい。
「素襖落」のいいところは、物語が那須与一の扇の的だといふことなんだと思ふ。
源氏も平家も喝采したといふ逸話を物語るといふことで、直実の物語る敦盛の最期や実盛の物語る小万の死や狐忠信の物語る継信の最期のやうに暗い気分になることがない。
平氏も船端を叩いて喝采したといふ話だもの。
それにしても飲み過ぎはいけませんね。三が日だけによけい身にこたへるわ。

「河内山」は家臣団がいい。
錦吾の北村大善のどこか剽軽(と河内山にも云はれるが)なところもいいし、歌六の高木小左衛門の苦労人な中間管理職の渋さを醸し出しているやうすが実にいい。
高麗蔵の数馬もいい人だしな。
小左衛門と数馬と、かういふ人がゐるから松江さんちはなんとかなつてゐるんだなあとしみじみ感じる。

ところで、「河内山」で宗俊が山吹色の実態を確認するところで「誰も見てない!」と声がかかつてゐた。
これを待つてましたとばかりにTwitterで「こんな声がかかつてゐた」とご注進に及んだつぶやきがあつて、な。
ご本人は得意満面なんだらうけれど、「カツベン!」を見てきた身には、「それくらゐ、いいぢやん」と思へてしまふ。
とはいへ、自分も見てゐるときは「芝居の邪魔だな」と思つたのでつぶやきたくなる気持ちもわからないではない。
でも「ご注進」的なのはどうなんだらう。
取り締まる感じのつぶやきは、「誰も見てない!」といふかけ声とおなじくらゐこの芝居には向かないと思ふんだけどな。