おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

花を惜しめど花よりも

3月11日(日)に東日本大震災追悼式のあつた国立劇場で、今月「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」その他がかかつてゐる。
国立劇場開場45周年といふことで、普段はあまり上演しない段などもかけるし、「熊谷陣屋」も普段は省略される部分をやるのらしい。
 
平家物語」などではこのくだりはどうなつてゐるのか。
一の谷の合戦終盤、良敵を求めてゐた熊谷次郎直実は、舟へと向かふひとりの武者を呼び止める。
組み臥せて兜をはねれば、そこには元服したばかりの少年の顔。
逃がさうとする熊谷に、そんな武士としてはづかしいことはできない、わが首を討て熊谷、と、敦盛は云ふ。
熊谷は敦盛の首を討ち、むなしく感じて出家する。
 
「熊谷陣屋」では、熊谷直実の妻・相模は、一子小次郎のことを思ひつつ関東の我が家を離れてあと一里もう一里と歩くうち、いつのまにか熊谷陣屋にたどりついてゐた、と云ふ。
それだけ聞くと、ちよつと荒唐無稽な気がする。
芝居だから、と、思ふが、まあこれはおかう。
 
相模の夫も息子も武士だ。
出陣の折には、「もう二度と会はぬこともあらう」と妻と母と別れたらう。
相模もそれはおなじこと。
「これが今生の別」かもしれぬといふ覚悟をもつて別れたらう。
 
多分、人は、「自分には流れ弾は当たらない」と信じて毎日生きてゐる。
自分にも当たらないし、自分の愛する人々にも当たらない。
朝「いつてきます」と出て行つた子は、夕方には「ただいま」と帰つてくる。
「いつてらつしやい」と見送つてくれた親は、「お帰りなさい」と迎へてくれる。
 
一年前のあの日も、みんなさう思つてゐただらう。
 
あたりまへだと思つてゐたことが、あたりまへではなかつたと、こんな形で気づかされるなんて。
 
さう思ふと、これは芝居がちがふけれど、「他人のわしでも骨身が砕ける」。
 
もしかしたら、あの朝、喧嘩別れした家族もあつたかもしれない。
「許さないんだから」と思ひながら、14時46分を、1時間後を迎へた人もあつたかもしれない。
あんなことになるなんて、知つてさへゐたら、あんな別れ方はしなかつたものを。
さう後悔の念に苦しむ人もゐるのだらう。
 
国立劇場にはこの後行く予定だ。
今回は、「熊谷陣屋」を虚心に見ることはできないだらう。
相模の姿に、被災者の方々の姿を重ねてしまふことだらう。
 
感想はまたその後に。