おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

六代目中村勘九郎襲名披露二月大歌舞伎の昼の部 @新橋演舞場


2月25日(土)、新橋演舞場に六代目中村勘九郎襲名披露公演の昼の部を見てきた。
 
退屈な鳴神。
おそらく、主たるふたりのセリフに難があるせゐだらう。
七之助の雲の絶間姫は、聲はいいものの、どうもメリハリに欠けるところがある。
たとへば出てきて花道七三で「南無大聖不動明王」と唱へる聲に憂ひがない。
ゆゑにこのあと橋之助の鳴神上人の「憂ひのある聲がする」といふうやなセリフに「え?」と思ふことになる。
このあとも、セリフに関しては「たいへんよくできました」といふ感じ。おもしろみがない。
橋之助は肝心なところでなにを云ふてゐるのかわからないのが致命傷。
 
といふやうな感想を抱くのは自分だけなのかなあ。
 
暮れに「タンタンの冒険」を見た。
職場で見てきたといふ人たちと話をしたら、「タンタンつて男の子のはずだよね」「でも、おでこに皺があつたよ」「全然少年に見えない」と云はれて愕然とした。
え、少年以外のなにものにも見えなかつたけど?
それは多分、自分が見たのが吹替版だつたからだらう。
浪川大輔の聲は、タンタンくらゐの年齢の男の子のそれだつたもの。
 
といふわけで、どんなに見た目が美しからうが立派だらうが、セリフがダメならダメ、なのである。
やつがれの場合は。
 
白雲坊に亀蔵、黒雲坊に男女蔵。かういふの見ちやふと、この後の平成中村座の座組にがつかりしさうでつらい。
 
楽しみにしてゐた「土蜘」。
ここのところ慢性の寝不足がさらに悪化してゐるのだが、そんなことは心配するまでもなかつた。
智籌が出てきたときのあのまはりの空気がすーつと冷たくなるやうな感じ。
たまらない。
三階席なんだぜ、こつちはよ。
特に前シテは、三津五郎の頼光と丁々発止な感じで食ひ入るやうに見る。
頼光、うつかりあふぎを取り落としかけてたなあ。めづらしいんぢやなからうか。三月の義経も楽しみだ。
 
間狂言がまた豪華でね。
豪華なはずなのに、なんといふか、今風に云ふところの「ほつこり」した感じがいい。
顔ぶれがそろひすぎると、「舞台荒らし」になりがちなんだが、それがない。
ちやんと一息つく感じの出来になつてゐる。
 
見に来てよかつたなあ。
また見たいなあ。
あと吉右衛門でも見たい、「土蜘」。もうないだらうか。
 
「河内山」は東京で松嶋屋三兄弟揃ひぶみといふ贅沢。
願はくば上方狂言だが、まあ、この上のわがままは云ふまい。
仁左衛門の河内山は、初演と再再演を見てゐる。
仁左衛門の黙阿弥ものは、正直云ふと、苦手である。
襲名後でさへ「これがあの仁左衛門か」といふくらゐ棒読みなセリフの直侍でがつかりしたこともある。
 
河内山は、本来はもつと早くに初演を迎へてゐるはずだつたらう。
病さへ得なければ、と、思ふ。
 
今回は質見世から出てゐて、これがいい。
「ひじきに油揚げ」、好きなんだよねえ。
黙阿弥もののうち「河内山」はかなり好きだ。宗俊はいはゆる「いい男」でないことと、基本的には「悪人」といふのが好みに合ふのだらう。
正義が悪を討つのはあたりまへ。悪が悪を討つからおもしろい。
そんな気がしてならない。
 
そして、仁左衛門は「いい男」ぢやない役をやるときにたまらなくいい男なのだつた。
 
勘九郎の松江侯が癇症な感じでよし。襲名披露唯一の芝居がこの役か、といふ気もしないではないが、よかつたからよし。そのうち宗俊もやることだらう。 
隼人の浪路は印象薄い。
信二郎の数馬はいい人。
由次郎の大膳。うーん、この味はひ、他には変へ難い。
東蔵の高木小左衛門、びしつと締めてる。東蔵は、できれば女方で見たいと常々思つてゐるのだが、これだけ家老役がいいと仕方がないのかなあとも思ふ。
 
襲名披露だからだらう、このごろにない大一座で、それだけで満足満腹だ。
この後、この後遺症が出ないといいんだがなあ。