おもしろいことおもしろいこと

主に見てきた芝居の話

壽初春大歌舞伎 夜の部@平成中村座


1月13日金曜日、平成中村座に壽初春大歌舞伎の夜の部を見に行つた。
それにしても、大歌舞伎、か。大歌舞伎、ねえ。ふむん。
 
まあ、それは平成中村座に限つたことではない。
今月は東京だけでも新橋演舞場に国立劇場、ル・テアトル銀座に浅草公会堂、そしてこの平成中村座と五座で歌舞伎を上演してゐる。
さらに大阪松竹座もあはせて六座。
そらー「大?」と首を傾げたくなるやうな座組・演目になつても致し方がない。
 
そんな中でも「対面」の勘三郎の十郎にはうつとりだ。
揚幕から出てきたときからその風情に見とれることしきり。
今回はこの十郎を見に来たので、まんぞくまんぞく。
十一月は「外郎売」、十二月はやはり「対面」と、五郎を制する十郎を三月連続で見たわけだが、やはり今月の十郎は格別だ。
そして、十一月の松也の十郎もまた、思ひ出しても惚れ惚れするやうな十郎だつた。
五郎を制する十郎の形は、どうも名優でもくづれやすいものらしい。
見てきた感じではそんな気がする。
見てゐるだけだと、腕の長さと肘の位置、手首の位置が関係するやうな気がするが、よくわからない。これだけの演目ならなにか口伝があるはずだし。
一番いいなあと思つてきたのは先代の勘三郎の十郎。なんといふか、ものやはらかなんだよねえ。これまたちよつと愁ひがあつて、いい。實にいい。
今回は橋之助の五郎とのバランスも絶妙で、ひよつとすると今月一番のeyecandyだつたかもしれない。
 
橋之助の五郎は、「かういふ役がやりたいんだ」といふ感じのする(と勝手にこちらが思ひ込んでるだけだけど)五郎で、大きくてよかつたと思ふ。
時々何云ふてるのかわからないのが玉に瑕、か。
 
弥十郎の工藤はちよつと悪役な感じが強かつた。
 
お染の七役は楽しく見た。
去年五月の「牡丹燈籠」は今一つだつたので、「土手のお六もあんなか知らん」と思つてゐたがさにあらず、いいぢやんいいぢやん、といつたところ。
竹川と貞昌がおんなじやうとか、演じ分けは完璧といふわけではないけれど、かういふのを「進境著しい」といふのかもなあ。
お光ものぐるひのくだりは、いつものかたくなつて踊りが小さくなるところが時折見られたけど、全編かたくて小さかつたどうしやうもない道成寺のころと比べると格段の出来だし。
あ、さうさう、でも動いてゐるとき手が大きく見えるんだよねえ。特にこのお光のくだりは笹を振り上げた時に肘のあたりまであらはになつて、そこだけめうに「男」になつててヘンだつた。
 
橋之助の喜兵衛はめうに愛嬌をふりまかないやり方が愛嬌を生んでゐていい。
歌舞伎座の八月興行などでは羽目をはづしすぎて「なにやつてんだよ」と思ふたこともあつたげな。
「士別れて三日、即ち更に刮目して相対すべし」つてことさね。反省することしきり。
 
番頭善六、なあ……。
先月の「切られ与三」の藤八もそうだつたけど、まうちつと、かう、やりすぎない方向にはできないものか知らん。
弥五郎とか幸右衛門とか、かうだつたかなあ。
やりすぎたくなる役だとは思ふし、さういふやり方もあるのだらうけれども、チトしつこい。
このあたりは好きずきだらう。
 
梅枝の女猿廻しと萬太郎の船頭が丁寧な感じ。
梅枝は演舞場にも出てるし、今月は大車輪の働き、だらうか。